先生よお!大人の「ものさし」で俺達のこと測ってるんじゃねーよ!!
などと叫んでいた若かりし頃・・・。
誰かの受け売りを、それがカッコイイと思って吐き捨ててました。
今聞くと、とんでもなく恥ずかしいセリフですね^^;
では誰の「ものさし」で測ればいいのかな?と矛盾した疑問も持ってました。
なんせ誰かの受け売りですからね^^;
今の僕がそんなセリフを吐かれたら、「じゃあ、君の「ものさし」で測ったら、それはカッコイイことなのかい?」と言い返すことでしょう。
いつからか僕は「自分のものさしでしか測れないんじゃないか?」って考え始めるようになり、じゃあ「ものさし」って一体何なんだろう?という事を考えるようになりました。
「ものさし」っていうのはみんなが持っているけど、その長さも目盛りの細かさも人それぞれ違うんだよね・・と思い始めました。
だから不良の気持ちや行動は、真面目な奴には測れないし、逆に真面目な奴の悩みは不良には全く測れない。
目盛りが無い訳だからね。
ものさしの長さは、歳をとるにつれて長くなっていくのかもしれません。
では、そのものさしに目盛を刻んでいくにはどうすれば良いのでしょうか?
一番簡単なのはやはり「経験」することでしょうね。
意識せずとも目盛りは刻まれます。
意識すればもっと深く刻まれます。
でも、全てを経験するなんて無理だし、経験しちゃいけない事だって有ると思います。
他人の経験を自分に置き換えたり、想像したり出来る人なら、ものさしに目盛を刻むことができるのかもしれませんね。
そして僕は不良と呼ばれていた頃に、「どうせ大人は分かっちゃくれない!」ってひねくれてました。それは「分かって欲しい」の裏返しだったのかもしれません。
僕は不良と呼ばれてしまっている子の気持ちを分かってやれる親になりたいと思ってました。
だからといって自分のしていた行いを正当化するつもりも、真面目な子をないがしろにするつもりも無かったのですが。
真面目な子は、世の中から認められ褒められ評価をもらえます。
でも、不良と呼ばれる子は世の中からも認められず、ダメな評価しかもらえません。
自業自得といえばそれまでですが、せめて親だけは「何考えてるんだお前は!全く分からん!」などという言葉を我が子にかける事はしたくないなあ・・。と思ってました。
でも、そんな僕の「ものさし」にも目盛は全然足りなくて、後に自分の子供が学校に行かなくなった時に、僕は何も分かってやれなかった気がします。
ただ、「そのままだと将来の選択肢がこれぐらいしか無くなるぜ。」くらいしか言ってやれませんでした。
本当の気持ちは、本人にしか分からないし、息子の気持ちを語って良いのは息子だけです。
それでも本当に大切な事は、大人が子供の「ものさし」にしっかり目盛を刻んでやらなきゃいけない気もします。
子供が悪いことを繰り返してしまった時に、どうすれば目盛を刻んでやれるのか?
一度目は口で叱った。でも繰り返す。今度は殴るのか?圧倒的な権力者が弱者を殴るのか?
悩んだ末に僕は子供の目の前で、僕は自分の腕にお客さんの忘れたタバコに火をつけ押し当てました。
「お前が繰り返す度に俺は何度でもこれをやる。」
その行為が正しかったのか、間違っていたのかは未だに分かりません。
ただ、何かの目盛は刻まれたと思います。(トラウマかもしれませんが^^;)
そんな長男も20歳になり、大学に通いながらバイトをし、一人暮らしを始めました。
いつまでも僕の誇りで在ってくれ。
ダメな大人の僕は、26日(日)八王子にthe Brushのライブを、29日(水)には渋谷にザ・クレーターのライブを見に行こうと思ってます。
みなさま、こぞって、こぞってお越し下さい。

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