不動産 チャリンコ社長の珍遊記

池袋東口にあります、「池袋で一番良心的な不動産屋」を目指し、
自負している株式会社バイオンマネジメントの社長 竹内のブログです。
不動産のこと(タブーなことも)、身の回りに起きたことを書いていきたいと思っています。

2014年07月

クソ暑い毎日が続いておりますね。仕事なぞせずに川に飛び込みたい気分です。
 
そんな僕の周りでも最近転職する予定の人や、転職した人、転職しようか悩んでる人がたくさんいます。
 
そんな人達に向けて、人生の折り返し地点を過ぎた僕の転職のお話をしましょう。
 
僕は高校卒業後に料理の専門学校を出てフランス料理の道に入りました。給料も安く、休みも少なく労働時間も長い。下っ端のコックに休憩している時間などなく、食事の時間も僕が作って準備するので、誰よりも遅く席につき、誰よりも早く食べ終わりコーヒーを入れて片づけをする。
700頃から夜1000過ぎまでの間で座っている時間は、わずか2030分。
それでも早く仕事を覚えたくて、毎朝シェフが来るまでには自分の仕事を終わらせて、シェフに新しい仕事を教えてもらう。
休みの日にも友達と遊びにも行かず、包丁や料理書を買いに行く。そんな日々でした。
 
当然の結果として僕は同年代ではブッちぎりに仕事のできる若手として、当時バブルの影響で新店舗オープンラッシュに引っ張りダコの存在になってました。
店を移る度に給料や立場は少しずつ上がっていくので、何の抵抗もありませんでした。
 
そして、25歳で結婚し子供が産まれ、僕の浮気が原因で離婚。。。
このあたりの話を書くと200ページくらいの大作になってしまうので割愛しますが、
その後、移動販売車でホットサンド屋さん、外資系の生命保険の営業、建築士の資格の学校の営業、カラオケメーカーの飲食事業部、カフェ自営・・・・。などなど。
正直、履歴書の職務経歴欄なんて1枚じゃ全然足りません^^;
 
そして不動産屋に勤めたのが39歳の頃です。
資格の学校の営業時代の上司に誘われて、カフェを閉店してこの仕事を選びました。
正直、もう後がないと思い一から勉強して3年が過ぎた頃に社内分裂やら不動産部門の売却やらのゴタゴタもあり、自分の会社を立ち上げる事に。(この辺の経緯は2013/8/2228のブログに書いてあります。)
 
旗揚げから3年が経ち、今は自分の思うように仕事をしてます。
だから、若いみなさん、まだまだ大丈夫です!!
今の自分が有るのは今までの色んな経験のおかげだし、
「あのとき辞めなかったら・・」なんて考えたってそんなの無駄無駄無駄無駄あ!!!
です。
 
どうなるかなんて分からないのだから。
 
それよりも「あのときの決断が今に繋がってるんだ」って思いましょう。
そこで出会ったたくさんの人達は、今でも僕を助けてくれてます。
いつだって「今の自分」が人生の中で一番好きな自分です。
 
理不尽なことや、嫌な人達が居る職場も有るでしょうけど、それも大切な経験です。
いずれ自分の旗の下では、そういうストレスの無い世界を作れば良いのです。
 
 
でも、僕は一つ所でずっと働いている人を尊敬してます。
僕には出来なかったことですからね^^;
 
大切なのは自分を好きで居続けることなんじゃないかと思います!
周りがどうとか、お金がどうとか、借金だとか失業だとか、そんなことじゃなく、
「必死で頑張ってる自分」が
「納得いかなくて噛みついた自分」が
「上手くいかなくて悔しくて泣いた自分」が
好きな自分ならそれで良いと思います。
 
というわけで、あの子もその子もみんな頑張れ!!

 

 
何の事かと言うと、以前僕が仲介して契約になったお客さんが入居しているお部屋の管理会社さんから、少しキレ気味に電話が掛かって来ました。
 
その管理会社のおばさんは、開口一番
「以前ご紹介頂いた○○さんなんですけど、そちらで連絡つきますか?」
 
と少し怒った口調で言ってきたので
『はあ、最近特に連絡はしてませんが、何か有ったのですか?』
 
と聞き返すと
「いや、庭でタバコを吸って吸殻を庭に棄ててるらしいので、注意しようと思って100回以上電話してるんですけど、出ないのよ。」
 
『保証人さんも出ませんか?』
 
「そうなのよ、うちも困ってね。もう内容証明送ろうかと思ってるのよ。」
 
『穏やかじゃないですね。でもまあ出すというならどうぞ。』
 
「だって100回以上電話しても出ない人なんて居ます?大田区にはそんな人いませんけど!!
 
『ま、豊島区にはたまに居ますけど・・・。とりあえず私から電話してみますけど、同じ番号だと思うので期待しないで下さい。』
 
 
そんな変な方じゃ無かったので、すぐに電話してみると・・・。
「どーも、ご無沙汰してます^^」
普通に出るじゃん・・・^^;
しかも、管理会社からの電話なんて入って無かったという話で・・・。
 
クヌヤローと思ってすぐさま管理会社に折り返しの電話をしました
『あの、お客さん出ましたよ。しかも御社からの電話なんて1度も無かったそうですが、本当に100回も電話したのですか?ちょっと電話番号確認させてもらってよいですか?
090-○○○○-・・・・、』
「あ、そっちの方ね!もうひとつの番号に電話してたわ。うちは名簿見て電話するから。」
 
はあああああ!???
連絡先が2個有ったら、100回電話する途中で気付けやああああ!!!
名簿作ったのお前ちゃうんかああ!このBBA!!
的な事を柔らかく指摘したら、
「あ、もうわかりましたので。はい、ガチャ。・・・・ツーツー・・・。」
 
ノオオオオオオオオ!!切りやがったあああ!!
 
この“見ると幸せになれるという伝説の、たんぽぽの綿毛のような未確認生物”
みたいな名前の不動産屋めええええええ!!
 
 
大田区恐るべし・・・・。
 

さてさて、毎週水曜日更新を誓ったはずなのに、まったく書く事が思い浮かばずに、毎週のように先送りしております。
 
そして今日も不動産とは全く関係の無い僕個人の考え方を綴ったブログです。
 
去年くらいから、僕がお店をやっていた頃の常連のお客さん達が結婚して次々と出産しますの知らせが入ってきてます。
当時2223歳だった女の子らがみんなお母さんになるかと思うと、大変嬉しい思いでいっぱいです。
 
女性っていうのは本当に凄いもので、中学生くらいから毎月痛みに耐える訓練をし続けて、妊娠した後にも気持ち悪くなったり、どんどん体は重くなって、男の人と同じものしか食べて無いのに、その体の中で骨とか臓器とか色々なパーツを作るなんて!!
きっと自分の体のカルシウムとか色んな成分を分け与えて命を作っているんでしょう。
そして10ヶ月間かかって、痛ったい痛ったい思いして産むわけじゃないですか。
だから母親は子供を産んだ時点ですでに立派に「母親」なんだと思います。
 
それに比べて男親っつーのは、普段と何も変わらない。酒もタバコもやりたきゃやれる。
食事も今までどおり。体も重たくなる訳じゃない。
作るときにちょっとだけ気持ちいい思いをしただけの話です。
だから子供が産まれたからって「父親」になった訳でも何でも無い。
「父親になるんだ」って思って、覚悟して、考えて、頑張って、なろうと思わなければ一生かかっても「父親」にはなれないと思ってます。
 
言い換えれば、自分の子供じゃ無くても「父親になるんだ」って思えば「父親」になれるんだって思ってます。
 
先日、別れた彼女と話した時に「俺は家族だって思ってたよ」の言葉に対して「私は壁を感じていた」と言われものすごいショックでした。
真剣に子供の将来を考え、愛し、教え、遊び、全身全霊で愛情を表現してきたつもりでした。
それだけにショックも大きく、振り返ってみてもどうすれば良かったのかすら分りません。
でも、そう思わせたってことは、きっと何か問題が在ったのでしょうね。
 
基本的には僕は子供の前では常に笑っています。
ま、ふざけていると言えばそうなのですが。
 
大人になっても笑って生きて行って欲しいのです。
ゲームも遊園地もそりゃ楽しいに決まってます。
でも、川でも草むらでも道でも家の中でも買い物中でも車の中でも、楽しむ方法と楽しもうとする心があれば、いつでも楽しめるんだよ。って事を教えたいのです。
 
大人が考えて作ったおもちゃや施設なんて無くたって、君たちの頭の中にはたくさんの夢や想像力があるから、ほんの少しヒントを与えてあげれば、そこから先はいくらでも遊びを考えられる。
そんな風に自分で楽しさを作れる人間になってもらいたいと思ってます。
 
 
 
というわけで、大人になっても楽しさを忘れないバンド「theBrush(ザ・ブラッシュ)」のTSUTSYA O-Crest77日に行われたワンマンライブ大成功!!おめでとう!!
最高のライブを最高の仲間たちと楽しめた最高の一日でした!!
 
 
強引な締めですが、今日はこれまで。
 
 

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